みさとと商店

なんてことない商店の、変わり続けた商売。コップ酒と煙草と、つめこみすぎの弁当と。今日までの“いろんなさじ加減”

いい町には、いい商店があります。いろんな品物が集まるところ。だから、いろんな人が集まるところ。

「自分たちが作った物を売るわけじゃないけえ。その時代、その時代で、たくさん町の人が関わってきとるんです」。時代の移り変わり、町の移り変わりと一緒に、いろんなさじ加減で商売をしてきた、美郷町の花田商店さん。

いい商売の出発は「コップ酒」仕事後の一杯

夏のぬるい風をうけて、くるくるとまわる色とりどりの“酒缶の風鈴”をくぐる。店の中に入ると少しひんやり。昔ながらのドロップ缶をひっくり返したように色とりどりの店内、その奥にいました。生まれも育ちも花田商店の、花田昇吾さん。今回は花田さんとお呼びします。そして、奥さんの花田美枝(よしえ)さん、お姉さんの髙橋みやさん。花田商店をまわすお三方。

左から奥さん、お姉さん。
いました、花田昇吾さん。

創業は「戦前の、昭和15年くらいだったかねえ」。山を降りた道に店を構えました。売り物は、酒、塩、煙草の専売品。

特に「コップ酒」は、のちに商売の肝になっていきました。炭焼きなど山に入って仕事をする人が多く、帰り道に車(台車)を引いて、ちょっと寄っていく。コップに一杯、日本酒をそそいで「ぴゃって引っ掛けて帰る」。いまで言う立ち飲み屋のような場所でもあったようです。時々、「日本酒いっぱい飲んで、元気出して、そうするとだんだん口調が強くなって。喧嘩なんかもようあったねぇ」。

お酒だけでなく、お店に置いてあるものはぜんぶ量り売り。近所のお母さんらが容器を持って塩や砂糖を買いにくれば「はい、一斤ね!」とざらっといれて渡し、子どもが駄菓子を買いに来れば、専用の大きめのスプーンですくって袋にいれてやりました。

いろんな人が品物を卸して。いろんな人が売りに行く

昭和も半ば、お祖父さんから2代目へ変わる頃には品物もどんどん増えていき、商店にはさらにいろんな人が関わるようになります。花田さんがよく覚えているのは、お豆腐屋さんとこんにゃく屋さん。お豆腐屋さんは、一斗缶に9丁を3段きれいに詰めて「毎日、午前中に置いていく。それをその日に売っちゃります」。こんにゃく屋さんは、一斗樽にまるいこんにゃくをびっしり入れて1週間に一度、花田商店に卸していく。

いろんな人がきて、品物を卸す。お金のやり取りもみんなバラバラ。売りに行く人もまた、さまざまに居ました。「お母さんら、おばちゃんらが竹で編んだかごに商品詰めて行商にいく。いまでいう高校生のバイトみたいなもんで、お兄ちゃんらもいく。車なんか持っとらんけえ、ずーっとずーっと歩いて売りに行く」。

品物を任せるのは、商店と個人との信頼。「今日はこれとこれ、全部で売れたらなんぼだけえね!よう売ってきてくださいね!」

玉子の値段がちょっと高くなったのか、「誠に申し訳ございません」の添え書きが。正直です。

花田さんのお母さん(平成8年から今日まで3代目)も、行商をしたそう。お姉さんがまだお乳を飲んでいた頃。「乳飲み子抱えて、お乳作って持って、品物を背負って売りに行くのは大変。だから、太陽がでたら山に仕事に入る人たちに合わせて行って、荷物を背負ってもらって、山へ売りに行ったねえ」。暗くなったら、仕事を終えた下山に合わせて帰る。「お日さんと生活していたねえ!」とお姉さん。日の出、日の入りで、商店の品物も一緒に動く。商店は、人にも太陽にも上手に合わせてやってきたわけです。

町が変われば、商売も変わる。「待ってるだけじゃあダメ」

90年近く商売をしていれば、町のことをよく知っています。この10年は、まわりのお店が暖簾を下げ、シャッターを閉めていくのも見てきました。散髪屋さんに酒屋さん、映画館など、いろいろあった稼業は「たくさんやめていった」。

ずっとお酒を売ってきた花田商店も、「酒で立ってた商売、だんだん、だんだん難しくなってったねえ」。客人が来れば出雲はお茶、石見は“一杯”というほどに、日本酒を愛しよく飲んでいた世代の頃を過ぎて。酒屋から届く、一升瓶が10本入った木箱はいつからか6本入りに。もっぱらビールが増えた頃には「注文をとってトラックに積んで、売ってまわるようにもなりました」。お盆の前やお正月は稼ぎ時で、「みんな飲むゆうてわかっとるわけだけえ。積んでまわって、『おっつぁん、もうビール、ないなっちょうらい!』『おう、すくのうなっとる、置いといてごせ』。そうやって物を動かすようにしたわけです」

人間味のさじ加減を効かせた町の商売、こんなことだってよくありました。「正月にまとめて払うのよ、昨年のお盆の酒代(笑)」。お金を作るのには手間もかかれば時間もかかる、と花田さん。「だけど、そがして物を動かして、商売してかにゃあね!」。

待ってるだけじゃあダメだけぇ、ともう一つはじめたのが移動販売。お店の品物を乗せて、月、火、水、金、土。それまでは、商店の物を買い物に来られないおばあさんやおじいさんに配達するサービスをしていたけれど、「配達しながら移動販売も」と許可を取ってはじめたそう。

「ドラッグストアやらコンビニやら、値段はかないっこない。町の人のニーズゆうもんに合わせてなんとかしよう。どがあして商売続けようかってやっているゆう話じゃあね」。

品物も変わった。同じ品物でも勘定が変わった。つき合う商売相手も変わった。それでも、その時の町の人、町のありように合わせて動いていく。そんな商店の、変わらないやり方があります。

演歌歌手のポスターに、水墨画にアダルトなパズル。商店にはいろんなものがあります。

うーん、太っ腹!卵焼きの隠し味は〇〇、つめこみすぎのお弁当

「お惣菜と弁当をはじめたのは、この店の岐路だった」というのは、約2年前のこと。その日に売り切れない物をすべて在庫にするわけにもいかず、「このままじゃしんどいわなあ、何かをせにゃ。惣菜をしてみるか」と。奥さんとお姉さんがレシピを作った、人参、しいたけ、寛平、高野豆腐にたまごが入った煮しめの「おやまの巻き寿司」はいつもすぐに売り切れです。

お弁当をはじめたのは、お昼ご飯を出していた食堂がランチをやめてしまったから。「弁当できませんか?」と言われて、「はいはい、できますよ!」。

花田さん、奥さん、お姉さんの3人でやっているため、メニューはなし。おかずはお任せ。「でも、向こうが、これありますか?っていうたら、うん、やったげるよ!いうような感じだね」。一律450円。「トンカツでも450円。アッハッハ!」

頼まれれば1,000円の特別弁当もやります。

日々、電話がきてバスの運転手さんや、工事現場の“おっつぁんら”が注文をしていくそうで、「朝が大変よ!」と口を揃える3人。朝の7時までに20人分の注文が来れば、朝3〜4時には支度をはじめて、6時半くらいには車に積み込んで届けにいきます。

この日も、花田商店はまだぼんやり夜気の残る朝4時前にはじまりました。メモ書き(カレンダーの切れ端の裏)をみると、11人分のオーダーが。焼き魚、揚げ物、煮物がどんどんテーブルに準備されていきます。おかずの種類、太っ腹過ぎませんか?

太っ腹といえば、ガス釜でぱっちり炊いた白飯も。なんと、たっぷり250グラム入れちゃう。「体動かしている人たちは、腹へるでしょう。頼まれたら大盛りもやってあげる」。280グラム(通常の弁当は180グラムくらいというから、「入るんだろうか」と心配に)。

でも、そこはさすがの勘が効いていました。「これが一番大きかったから」というかわいい茶碗を専用に、もう体が覚えているというようにご飯を目分量、手分量で入れていく。「熱いうちに、ご飯のかたまりを伸ばすこと。これが大事!」。冷めると綺麗に平らにならないんだそうです。

さてその間に、奥さんはおかずの炒め物。お姉さんは、副菜をつめていきます。ご飯にはごまをふって、「花びら(の形をしたふりかけ)も、綺麗なのでのせてあげます」。小さな台所で、3人の“あ・あ・うん”の呼吸。背中合わせの連携が気持ちいい。

弁当作りの途中、トットッと音をたてて四角いフライパン片手に2階から降りてきた花田さん。くるんと行儀よくおさまっていたのは、黄色いぴかぴかの卵焼き。この甘い卵焼きは定番で、人気の一品。表面の薄い皮が台所の光に透けて、丁寧に焼かれたことがわかります。

「これがわたしの得意料理だけえ」。そんな花田さんの隠し味は「チャチャーッと入れる」日本酒。

素朴なコクがあって、甘い!うまい!とうれしくなる味がする。もはや「卵焼き弁当」があってもいいくらい。常連さんによれば、この“酒感”は日によって違うらしいです。これもまた花田商店の、いい具合のさじ加減。

■花田商店
島根県 邑智郡美郷町 石原271
TEL: 0855-76-0303

Photos by Kenta Nakamura
Text by Sako Hirano (HEAPS)

本記事の一部には、事実関係においての解釈の相違、またその検証が難しい内容が含まれる場合があります。何卒ご了承ください。