みさとと

野生のイノシシが呼び起こした「町の個性と底力」日本で唯一になった美郷町、移住者と未来へ繋げるおおち山くじら物語

特産品だけが町の持ち味じゃない。真の個性は、住んでいるからこそ気づかない意外なところにあったりします。

これが、町のかけがえのない真価になるはず――真っ黒な野生の原石を、辛抱強く磨き続けた20年。美郷町が町ぐるみで育ててきた地域ブランド「おおち山くじら」はいま、日本全国の注目を集める存在になっています。

“最先端をいく田舎町”「ここで仕事がしたい」

「縁があって美郷町に来てみたら、ここにしかない仕事があったから。移住を決めました」。そう話すのは、森田朱音(36)さん、邑智(おおち)郡の美郷町で、株式会社おおち山くじらを経営しています。拠点は、乙原にある保育所。閉鎖していた同施設は、2年前から株式会社おおち山くじらの事務所兼、缶詰の製造をおこなう工場として生まれ変わりました。内装はかつての日々を感じさせる壁飾りも、ところどころに。

5年前に移住を決めた「ここにしかない仕事」とは、このイノシシ肉の食肉事業。近年のぼり調子の、いわゆるジビエの事業化。山くじらとは野生のイノシシのことで、獣肉を食べることを禁じられた時代に“山の鯨(くじら)”と呼び、築いてきた食文化の名残です。

同園内の別の部屋では、もくもくと野菜を切っている白衣姿が二つ。町のおばちゃんたちもパートとして協力してくれています。「今日は、スパイス煮込みと黒ビール煮込みの野菜の仕込みの日。半日はこの作業ですね」と、350缶ぶんを一気に仕込んでいく。詰めるところまですべて手作業です。

夏のイノシシのスジ肉、ウデ肉などの扱いづらい部位もうまく使えるように煮込み料理の缶詰として製品化。イノシシ肉のポトフと、イノシシ肉と大豆のキーマカレーを含めて、年間10,000個を製造して出荷。だんだんと軌道に乗せています。

キーマカレーは、美郷町に獣害対策で視察に来ていた、三重県津市美里町の「大豆」とコラボレーションして生まれました。

前職は、地域活性化を専門とするマーケティング会社に所属し、いろんな地域で町おこしに携わってきたという森田さん。ただ、その中でいつも同じ疑問があったと言います。「補助金引っ張って、ぱっと見の成果をだす。補助金なくなったら終わり」の一過性の町おこしになっていないか、と。

「美郷町は違いました。補助は一切なし。たんなるジビエの事業というよりは、やっかいもののイノシシを資源として、町を活性化する仕組みができていて。ジビエに取り組む地域は他にもありましたけど、ここが一番、おもしろそうだなって」。

森田さんが確信した「ここが一番、おもしろそう」には、20年を遡る町をあげての獣害対策への地道な取り組みがありました。「わたしたちはいまこうしてイノシシ肉を製品化して販売するビジネスができていますが、それは町の人が獣害対策を下敷きに、積み上げてきたものがあるから。そこに巻き込んでもらって、役割をもらったと思っています」。

森田朱音さん。お仕事中です。

日本の地方部、中山間地域を中心に深刻化しているイノシシやシカによる農作物被害「鳥獣被害」。全国の被害総額は164億円にまで及ぶといわれ、さらに、そこに多額の補助金が動く。だけど、補助金を使っても何も変わらないじゃないか。皆が頭をかかえていた。かつては美郷町だって、その例外ではありませんでした。が、一足早くかつ粘り強い取り組みで、美郷町は一躍、飛び抜けた例外となります。

その主力になったのが、女性を含む町の人たち。補助金なしで獣害対策の歩みを大きく進め、イノシシを食肉や皮革などの資源利用に成功。そしていま、森田さんのような若者が町に惚れ込んで移住し、ジビエの事業を軌道に乗せている。イノシシを起点に、“何かすごいこと”を連続で起こしている―そんな稀有な町として。

47都道府県のうち「46」が視察にくる町へ

「そもそも、猟師さんと農家さんの利害って、一致していなかったんです。農作物の実る春から秋にかけて、農家さんはイノシシから農作物を守りたい。でも、その期間にウリ坊(イノシシの子ども)含めイノシシをとりすぎると、本番の冬の狩猟期間に脂ののったイノシシが減ってしまう」。それに、と続けます。「イノシシから農作物を守ったときに受益するのは農家さん。だから、まずは農家さんに狩猟免許を取得してもらい、他人任せにせず自分たちの畑は自分で守ろうよ、と」。安田亮さん、1999年から獣害対策に取り組んできたキーマン。“イノシシの人”で通じるほど、この人なくして今日のおおち山くじらはありません。農作物の被害がいよいよ深刻化していく頃、当時31歳、役場の産業振興課で獣害対策を担当したばかりの安田さんは、機能していなかった駆除の体制に早々に切り込み、抜本的な変革を仕掛けます。

安田亮さん。

檻を仕掛けて生きたままイノシシを捕獲する箱ワナを奨励し、29人の農家さんが狩猟免許をとって、翌年には新たに駆除班を編成(現在は100人にまで拡大)。そこには女性の姿もありました。

「最近、“狩りガール”ってのがいるじゃないですか。うちの狩りガールは80歳のおばあさんたち!おばあさんがイノシシをつかまえた檻の横ですまして待ってたりします。この町には、元祖狩りガールがいるんですよ(笑)」

いまでは笑い話、といろんな話を聞かせてくれた安田さん。「土日には子どもを車に乗っけたまま、捕獲したイノシシの確認に行って。出勤前に『イノシシがとれた』と電話があれば、朝、そのまま確認しに行って」。シャツも一張羅も、数え切れないほどダメにしながら、プライベートの時間も関係なく費やして、ひたすら獣害対策に捧げた土台づくりの数年がありました。

生体捕獲と生体搬送から、専門の処理場で精肉するプロセスによって、肉の質も安定。「屠殺してすぐに放血をして腹(内臓)を出せば、血が溜まり酸化して発生する“臭み”を避けることができるようになった」。これは夏のイノシシにもいえることで、「夏のイノシシの肉がまずいって、そんなことないんじゃないか。問題なのは肉質じゃなくて、精肉までのプロセスじゃないのか」。安田さんの読みはあたります。研究機関と組んでデータも蓄積して証明、時間をかけて地道に売り込み、「うまくない」といわれていた夏のイノシシ肉は、一流シェフが取り扱うまでに。現在の、夏のイノシシ肉の缶詰の原点がここにあります。

2004年には、イノシシ肉を有効利用する食肉事業に着手するため、生産者組合を立ち上げます。そこから09年までに、イノシシ肉の食育、獣害対策を実践していく畑、イノシシ肉の加工食品、それからイノシシの皮革利用としてクラフト製品をつくる集まりも次々に立ち上げて、「イノシシの資源利用」を加速させていきます。

美郷町とイノシシの関係はがらりと変わります。狩猟免許をとった農家さん、料理上手のおばちゃん、縫製のスキルを持っていた町のおばちゃん、獣害対策の畑作りに取り組むお母ちゃんたち。イノシシを起点に、巻き込まれる人がどんどん増えていく。

これがイノシシの革で作られたクラフト製品。ペンケース、名刺入れ、パスケースは定番のラインナップ。

「町の人と進めてきたのはただの獣害対策じゃありません。イノシシを資源とした町おこしなんです。イノシシをツールとして、町をいい方向に変えようとみんなで動く。培ったノウハウこそ町の資源になる。関わった人たちそのものが、この町の大切な資源になる」。おおち山くじらというのは、ただのイノシシ肉のブランドではない。町の人が作り上げてきた町おこしの証、町おこしの地域ブランドだ、と。

獣害被害も減り、現在では年間に美郷町内でとれる4〜600頭のイノシシのうち7、8割を回収して、食肉利用をはじめ資源利用に成功しています。売り上げも上々。「四苦八苦しながら、ですけどね。イノシシの頭数によって読めないビジネスなので大変です」と森田さん。

同じく増えているのが、全国からの視察。47のうちすでに46都道府県の市区町村から視察が来ているそう。かつ、「リピーターも多く来るんです」と安田さん。美郷町が獣害対策のモデルケースとして、日本全国から人が集まってるハブになっている。「こんな辺鄙なところにでも、人が繰り返し来るようになる。あかねちゃん(森田さん)のような定住者もでてくる。これこそ、地域活性です」と安田さん。うれしさに、はにかみながら話します。

何章までも続いていく、美郷町の山くじら物語

株式会社おおち山くじらから車で10分、邑智食肉処理加工場へ。嵇(じ)亮(32)さん、上海出身、5歳から日本育ち。パリ留学後に日本へ戻り、神奈川県から美郷町へ。もともと生物学の研究者で、イノシシの解体処理の仕事に興味を持ち、移住を決めたそうです。「猟師さんや農家さん一人ひとりとのコミュニケーションが大変でした。怒らせちゃったこともありますし。でも、これが何より大切」と言います。「ビジネス、としてやってもダメなんです。個人対個人。イノシシ受け取ってハイ、じゃなくて、ちゃんと会話をする」。

邑智食肉処理加工場。木々に囲まれています。
嵇(じ)亮さん。

もう一人の常勤で、同じく解体処理から精肉までを受け持つ平川洋(31)さんが、仕事用の折りたたみ式の携帯(通称“イノシシ電話”)をひらいて耳に当てると、電話口から元気のいい声が飛んでくる。「あ、わかりました!今日、持ってこられます?」と言いながら、チラとこちらに目配せ。イノシシが捕まったんだ、と直感する。

在庫の整理をしていた平川さん。
これが“イノシシ電話”。

夕方に同施設前で再び落ち合うと、農家さんがすでに待っていました。軽トラックの荷台からガン、ガンと、断続的な音。毛が生え変わったばかりの薄茶色のメスのイノシシが檻の中、荒れた気迫でいる。

箱ワナを仕掛けてイノシシを捕獲するようになって、もう6年だという農家の片山さん。「一人で持って来たんですか?」。重そう…、とこちらの心の声も漏れたのか。「こがあなもん、ちっさいちっさい!真っ黒ででかいのなんか、檻パンパンでくるりと向きも変えられん」と、豪快。

檻は片山さんのお手製。生体捕獲と搬送は美郷町が独自に進めてきたため、こういった檻を販売しているところはなく、基本的に必要なものは“現地調達”。「昔、電気系の仕事をしていたからこがなことはなんでもできるのよ。町の人に頼まれたら作ってあげることもあるけえ」。檻が四面の箱型でなく、上部が曲げてあることを聞くと「角(かど)があたると、イノシシも痛いが」。

片山さん。クマが出たこともある!とスマホに保存している写真を見せてくれました。

年月をかけて、一人ひとりの猟師さんや農家さんと地道に関係を作り、生産者組合としてやっていた食肉事業を、民間の会社へと引き継ぐ。大きな分岐点だったのではないか。安田さんは言います。「それがね、すんなりいきましたよ。町の人にも、これまでの10年、15年に自負が生まれている。これだけやって来た。誇りもある。自分たちは高齢化していくから、これまで築いたものを守って欲しい」。これからも町と一緒に歩んでいくことを提携を結んで示し、2017年、株式会社おおち山くじらとして走り出します。

大切なのは、考えをぶれさせずに、だけど時代に合わせて行動していくこと。考えとは「イノシシの資源利用で町を活性化し、美郷町を唯一無二の町にしていくこと」。時代に合わせて、というのは、その時その時で主役になる人をオープンに巻き込み、必要であればどんどん活動を託していく、ということ。

「あかねちゃんたちは、“おおち山くじら物語”の、第四章。移住した人の起業、これは新しい風です。より安定した持続的なイノシシ肉のビジネスになっている」。森田さんが着任した頃は、“イノシシ専任”がおらず「山の中で木を切ってると、イノシシ取れたから来てくれ!とか、東京から注文入ったから送ってくれ!と連絡があって、なんとかそれをやるような。でも、それでまわってたからすごいんですよね、町ぐるみパワー(笑)」。そこから、搬送と精肉までのフローに担当をつけ、在庫管理の徹底と、少しずつビジネスを整えてきました。

在庫の中から、ステーキ用の肉をスライスしていきます。
オスのイノシシにはケンカで傷跡が残っていることも多く、手作業で丁寧に取り除く。

「売り上げを伸ばしたいとの目標ももちろんありますが、まずはこの事業で、自分たちの食い扶持をしっかり稼ぐ。それでこの町で生活していく。東京で働いている頃は、地に足をつけているようで実はそうじゃないと感じることが多かったんです。お金があるから何とかなるじゃなくて、お金があってもどうにもできない状況で、ちゃんと自分の力で生活していけるように。この町でちゃんと役割を果たしながら、その実感を持って暮らしていきたい」と森田さん。それはこの町に、新しい生活のかたちを作ることでもある。「おばちゃんたちとキャイキャイしているのが、楽しいんですよ」。

おおち山くじらの活動をすすめていく中で、“身の丈”という言葉を意識してきた、と安田さんは言います。一人でできることなんて、高が知れている。だけど、自分にできることを真摯にとらえて動く人が集まれば、いずれ振り返ったときにできているものは大きい。

逆をいえば、一人の壮大な思いがあっても事実が追いつかないければ続かない。だからこそ、「いろんな人を巻き込んで、事実を電飾のように繋げて、新しいことが起きていくように物語の“章”を続けていくんです」。

イノシシがいる町を、イノシシとよく生きる町に変えた美郷町。磨いた原石が光れば、遠くからも人が集まってくる。そこまでを「20年かけて、自分たちでやってきた」。その事実と月日そのものに、一朝一夕の小手先では真似できない美郷町のアイデンティティが滲みます。

後ろを振り返れば、物語ができていた。そして美郷町には、その先を続けていく人たちがいます。

■株式会社おおち山くじら
住所:〒699-4626 島根県邑智郡美郷町乙原 363
電話番号:0855-75-0887
営業時間:9時00分~18時00分

■邑智食肉処理加工場
住所:〒699-4627 島根県邑智郡美郷町吾郷付近

Photos by Kenta Nakamura
Text by Sako Hirano (HEAPS)

本記事の一部には、事実関係においての解釈の相違、またその検証が難しい内容が含まれる場合があります。何卒ご了承ください。