みさとと銘菓

老舗が続く理由の一つは、“ご近所”にあり。地元と二人三脚、創業から117年の銘菓「富士屋本舗」を継ぐ姉妹が語ること

つくるのは大変。つくったものを守り続けるのはもっと大変。そこにまた新しいことを足していくことは、もっともっと大変。

創業明治35年、117年の足跡。それは“いつだって、ご近所さんがいたからできた”こと。現在は母と姉妹で守る羊羹一本の商売、老舗銘菓「富士屋本舗」のお話。

柚子畑と羊羹づくり。「柚子羊羹」は日本一へ

ところで老舗とは、代々続く由緒正しい店のこと。そこには、こんな意味合いもふくまれます。「長年商売を続けることで、得てきた信頼」。先代からの稼業を守るには覚悟も力量も要りますが、ご近所の信頼だって同じだけ欠かせません。富士屋本舗の“老舗”には、この意味合いがあってこそ。それは、餡作りの絶妙な塩梅の砂糖と塩のようにしっくりきます。

「わたしたちがこうやってお店をやるなんてね、思わなかったよねえ」。明治35年に創業した富士屋本舗の羊羹づくりを継いだ姉妹、顔を見合わせて笑います。姉の菅多優美子さん、妹の畠山律子さん。二人が店を継いだのは3年前、先代である父が亡くなった折でした。

「お祖父さんが、山陰銀行で働きながら起業して。羊羹屋をはじめて、日本一にもなって。父と母が継いでがんばっているのを、その背中を、ずうっと見てきました」。“りっちゃん”と姉に呼ばれる律子さんが奥から持ってきたのは、かなり古い冊子。

“品製新、ラーテスカ、プツロド…” 「しん、せい、ひん。カ、ス、テ、エ、ラ。ド、ロ、ツ、プ」右から左へ、指で誌面をなぞって読みあげる。「ね!文字が逆。こんな時代に、出したんですよ、うちの柚子羊羹」。昭和7年の全国菓子大博覧会の冊子でした。

色鉛筆で赤い印がつけられているのが、富士屋本舗の柚羊羹

「この時に、銘菓優良店に選ばれて、金賞をいただいたんです。羊羹で選ばれたのは、全国二店舗だけ。とらやさんが出せなかった時みたいね」。審査は、すっごくすっごく厳しいもんでしたよ、冊子にのっている評価を読んでびっくりました、と優美子さん。

地元の柚子畑の柚子を使い、柚子羊羹を商品として開発。「ここらへんで育つ柚子はね、皮があつくってゴツゴツしていて。不格好だけど香りがすばらしく高くって」。近所の柚子農家には、「柚子羊羹つくっているから柚子がいる言うと、足がはやくてダメになるからなんぼでもとってって」なんてところもありました。

左が姉、優美子さん、右が妹、律子さん。

近所のおばちゃんが集まって。柚子の皮をむくところから

現在は、包装も自分たちでやるという二人は「うちは昔から、ぜんぶ手作業!」と言いますが、この“手作業”にはいろんな手がふくまれます。

柚子を収穫したあと、11月から1月までのあいだは、近所のおばちゃんたちが富士屋本舗に集まってきます。収穫した柚子が傷む前に、1年を通して商品に使用する柚子の加工品へと、一気に仕上げます。7人ほどのおばちゃんたちが集まって、柚子の皮をむいていくところから。「あの頃、家に入るとね、柚子の香りでいっぱい。服にも、髪にも、柚子の匂いが染み込んじゃって」。いまではせっせと姉妹での作業になったけれど、“近所のおばちゃんたち”は毎年の大切な手仕事の担い手でした。

富士屋本舗の柚子羊羹。

「あん時はもうダメと思ったよねえ。みんな、ここからいなくなっちゃうと思ったし」と思い返したのは、昭和47年の大水害。大雨の積水を浜原ダムがとどめきれずに町に流れ出ました。「見て、天井近くの白い染み。あれね、その時のヘドロ。消えないんですよ」。築110年の玄関の天井は高く、それでもぎりぎりまで迫った跡が、白の線と点々で残っています。

当時、生活をしていた大阪から駆けつけた二人が見たのは、「家の中に柱しかないの、ここらへん一帯」。商売道具の機械も一切駄目になり、「羊羹、またできるかなあ…、って意気消沈した父と母が二階に座っていました。当時はまだ補助金という制度もなくてね」。

それでも、近所の人が泥を撤去するのを手伝ってくれたり、応援の言葉をくれたり。ボランティアの人も駆けつけて。「有り難かった。あれを忘れたら、あかん」。機械を新たに購入して、お店の再開に走ります(「大切に手入れして、いまでもこの機械を使ってます」)。

水害のなか、2枚だけ残った賞状のうち、1枚。

二人が店を継ぐことを決めたときの後押しにも、近所の声がありました。「父は、自分が死んだらこの代で終わるかなと思っていたところがあったみたいで。私もそう思っていたし」。辞めるつもりで、一度休業。すると、町の人から「また羊羹やってよ」「お土産に持っていくのに、ここの羊羹があったらなあ」という声がたくさん届きます。

「それで、自信はなかったんだけど挑戦してみよう、って。どこまでできるかなあと考えていたときに、妹がね」。律子さんも、富士屋本舗を続けることを決めて、40年住んだ大阪からこの町へ戻ってきました。「やっぱりね、ずうっとこの町が好きでしたから。三瓶山がみえて、空気がおいしくって。いつかは戻りたいって、心のどこかで思ってた。ふるさとですからね」

母、順子さんに教わりながら羊羹を作りつつ、昔からつき合っている柚子畑に行き、収穫も姉妹でやります。いまでも柚子をゆずってくれるので、そのお返しには羊羹ができたらお茶菓子にと渡す。「いまでも続く、物々交換です」。

お茶菓子に、と出してくださった羊羹。
桃色がシソ羊羹、時計回りに柚子、小豆、焼き芋、えごま羊羹。

柚子の枝にはトゲがあるので、長靴と帽子を身につけて、しっかり気合を入れて。「たまに油断するとね、危ないの。長靴を履いていても下からブスッと!それから上を向きっぱなしだし、きっついわあ」。

姉妹での商売には、ケンカも度々。「二人とも気が強いから(笑)。でも、『あそこでいくつ売れたよー』なんて話をしたら、ケンカの話なんてもうお終い!またがんばろうゆうて話になります」

地元で生まれたものを、次は外へ

「来週はね、大阪でも売るんですよ、山陰マルシェというイベント。大阪の駅で、若い人たちに混じって」。ブースに応募してみたら当たった!と笑う二人だけれど、1年前にJRの三江線が廃線になってからは、「よし、体が動くうちに、もっと外に出て売っていかなきゃ!」と松江や浜田をはじめ、売る場所を少しずつ広げてきました。えごま羊羹や焼き芋羊羹など、新しい商品もラインナップに加えて。もうちょっと手軽に食べられるようにとサイズを落とした、“ミニ羊羹”としても売り出しはじめました。

「えごまも焼き芋も、集会やら交流会で出会った島根県の人と『コラボして、一緒になんかやりましょか!』ってすすめて。地元のものももっと使いたい。それで、外の人にももっと食べてもらえたらええよね」。

大阪行きを控えて大忙しの二人は、「明日までに、柚子のをもう100本、用意しなきゃでしょ。それからしそ羊羹も70本。ああ、包装もせんと…。もうほんと、老いの挑戦です!ふふふ」。いやいや、秋が深みを増した頃の柚子みたいに、凛と活き活きしていますよ。

柚子をとって羊羹をつくって、小さな信頼をあちこちに実らせて。今度は、少しずつ外にも種をまいて。枝の青いトゲのような姉妹のケンカだって商売の張り、富士屋本舗はまだまだこれから。

■店舗情報
店名:富士屋本舗
住所:島根県邑智郡美郷町浜原385-3
電話番号:0855-75-0137
営業時間:8:00~18:00(日曜定休)

Photos by Kenta Nakamura
Text by Sako Hirano (HEAPS)

本記事の一部には、事実関係においての解釈の相違、またその検証が難しい内容が含まれる場合があります。何卒ご了承ください。